和暦と西暦を簡単に変換する方法

こんにちは、ISYSです。
今回はいつもと違う内容です。たまにはこういうのもいいかなって。
さて、みなさんは
1983年って昭和何年?って聞かれて、すぐ答えられますか?
明治12年って西暦で何年?って聞かれて答えられますか?
1983年は昭和58年、明治12年は1879年です。
おそらく自分や家族の生まれた年や、戦争が終わった昭和20年なら答えられる、という人はいるかもしれませんが、すべて答えられる、という人はなかなかいないと思います。
もしくは、「自分の生まれた年は1987年で昭和62年だから、1983年は4引いて・・・」という計算方法もあるかもしれません。
実はこれを簡単に計算する、語呂合わせの計算方法があります。
数字の足し引きで算出できる
お気づきの方もいるかと思いますが、ある数字を足し引きすることで算出することができます。
明治・大正・昭和・平成・令和、とあるのですが、平成を例に出してみます。
平成は88。
平成9年を西暦に変換する場合は、9に88を足します。
9+88=97
1997年となります。
ちなみに平成24年だと、24+88=112
です。この場合は繰り上げて、2012年となります。
逆に和暦に治す場合は88を引けばOK。
2016年の場合、
16から67を引くとおかしくなるので、、、
116-88=28
よって、2016年は平成28年。
平成だけではなく、明治から令和までこの数字はあります。
もちろん、明治の前の慶応や元治もあるのですが、割愛します。日本の転換期は今まで何度もありましたが、一番新しいのは終戦、その前は明治維新(詳しくは後述しますね)、ということで明治からとします。
この数字を覚えよう
ズバリ、数字は、
明治 67
大正 11
昭和 25
平成 88
令和 18
となります。
例えば、先ほど日本の転換期と書いた、終戦は1945年。45-25=20、昭和20年です。
私が生まれた、昭和62年は62+25=87、1987年です。
細かく言うと、明治10年は10+67で77、なんですが、1977年でないことはなんとなくわかると思います。(明治10年は1877年です)
また、もっと言うと1913年って大正かな、明治かなって思うと思います。答えは大正です。
令和が18なのは、2019年が令和元年(令和1年)だから。ということは、
明治 67 → 1868年=明治元年(明治1年)
(明治は1800年代〜1900年代にまたいでいることは覚えておきましょう)
大正 11 → 1912年=大正元年(大正1年)、つまりその前の明治は1911年までだった。※
昭和 25 → 1926年=昭和元年(昭和1年)、つまりその前の大正は1925年までだった。※
大正天皇の在位期間は短く、大正は15年までしかありません。
平成 88 → 1989年=平成元年(平成1年)、つまりその前の昭和は1988年までだった。※
令和 18 → 2019年=令和元年(令和1年)、つまりその前の平成は2018年までだった。※
(令和という時点で1900年代ではない、というのはなんとなくわかると思います)
※元号は絶対に1月1日に変わる、というわけではないので、厳密には翌年までです。平成は2019年4月30日まで。この辺はさすがにカバーできないんですよね。。。
語呂合わせで覚えよう
数字をただ覚えようと思っても難しいと思います。語呂合わせで覚えましょう。
明治むな(67)しく、
大正いい(11)ね。
昭和の富豪(25)が、
平成で「やーやー」(88)やって、
令和で「いやー」(18)と泣く。
…
……
………
は?
これからご説明します。
実は歴史を表現した語呂合わせ
いきなりですが、私は中学校社会科、高校地理歴史科の教員免許を持っています。
だからなんやねん、と思うかもしれませんが、個人的に歴史が大好きです。
歴史は暗記科目と思うと非常につらくなり、面白くなくなります。しかし、内容を知ると暗記科目から一気に楽しくなります。
さっきのふざけた語呂、実は歴史を表した語呂なんです。(昭和からはちょっと無理やりだけどw)
そんなのいいよー、答えだけわかればいいよーっていう人は、この先は完全に不要だと思うので、読み飛ばしてもらって大丈夫です(^^)
明治はむなしい時代だった(ホントだよ!)

先ほど「日本の転換期で最も新しいのは昭和20年の終戦、そしてその前は明治維新」と書きました。なぜかというと、封建制度がなくなったからです。
「うわ、出た、封建制度、なんやねんそれ、だから歴史嫌い」と思う方もいるでしょう。
簡単に言うと江戸時代が終わった、幕府の時代が終わった、ということです。明治から幕府はありません。
いきなりですが、世界と比べると日本の歴史は変わっています。

欧米諸国は市民革命によって、封建制度(絶対王政)から抜け出しました。市民革命は名前の通り、市民が起こしたものです。市民が起こした革命だったため、議会政治などが取り入れられ、民主化が早くから進みました。

しかし日本は市民が「市民革命」を起こすのではなく、
下級武士(大久保利通・西郷隆盛・桂小五郎たち)が「明治維新」という形で、これをしてしまいました。
結果どうなったか、というと「四民平等」などの政策は実施されました。議会もできました。しかし、実際は大久保利通や西郷隆盛、桂小五郎の出身地である、薩摩(今の鹿児島県)と長州(今の山口県)が実質的な権力を握りました。
そして、待遇に不満を持った武士たちが内戦を数多く起こしました。国力を取り戻したい日本は「富国強兵」を掲げ、日清戦争・日露戦争へ向かいます。結果的に昭和の第二次世界大戦へとつながります。
大正は「いいね」?

皆さん、大正って言われて何を思い浮かべますか?
「うーん、大正って何あったんだろうな」って思う方もいるかと思います。
大正は15年間だったので、無理もありません。
しかし「大正デモクラシー」や「大正ロマン」という言葉を聞いたことないでしょうか?

日本は先ほど書いた日清戦争、日露戦争に勝利。さらに第一世界大戦でも勝利側となり、国内は盛り上がっていました。また、様々な文化が発達した時代でもあります。また、女性の社会進出(女性開放)、民主化運動も進んだ時代でした。
昭和は富豪(財閥)

短かった大正のあと、昭和となります。
悲惨な結果となった、第二次世界大戦。
昭和16年12月9日に始まった太平洋戦争。奇襲攻撃をしかけた日本は初めは勝利続きでしたが、戦争が長期化するにつれ、国力で圧倒的に勝る連合国に破れ続けます。制空権を奪われた日本はいよいよ本土への空襲を許すことに。そして広島・長崎への原爆投下。空襲と原爆による死者は56万人を超えます。

日本は昭和20年8月14日にポツダム宣言を受諾し、無条件降伏。翌15日にラジオ放送にて国民へこれを周知。
アジアの小さな島国でありながら、一度も植民地になったことのない国日本は、市民による市民革命ではなく、戦勝国の支配の下、現代の民主化の道を歩むこととなりました。
GHQが行った政策の一つが財閥解体。
三井・三菱・住友・安田、日本の四大財閥も解体することに。
もちろん以前の財閥とは違う形ではありますが、今もグループっていう形でありますよね。合併したものもありますが。結局、大企業(富豪)がモノを言う時代に。
(すみません、昭和だけすっごい無理やりです。語呂合わせのためであって、上記の三井・三菱・住友・安田のグループを批判するつもりは全くありません)
平成でも「やーやー」やってるぜ

ものすごく無理やりですが…笑
昭和が長かったので、急に現代になってしまいますが、バブルが崩壊したあと、日本は長い不況へ。その中でもやはり、大企業の富豪は「やーやー」やってました(ホント、無理やりですみません)
しかし、「格差社会」と呼ばれ、実際に貧富の格差が広がったのも事実です。
令和で平成の富豪は「いやー」と泣く

完全無理やり…笑
正確には平成の末期からですが、主役は昭和・平成までの富豪ではなく、フリーランサーが多数誕生し、YouTuberなど、世襲や企業に関係なく誕生するようになりました。「バズる」なんて言葉も出ました。
まとめ
なんか最後の方、すごく無理やりでしたが…。
明治むな(67)しく、
大正いい(11)ね。
昭和の富豪(25)が、
平成で「やーやー」(88)やって、
令和で「いやー」(18)と泣く。
ぜひ、覚えてみてくださいね。